僕が伝えたいコト

僕が2拠点で活動している理由

僕は京都と兵庫県加西市の2拠点で活動しています。
今は京都が生活基盤のある場所であり、勤務先の会社があります。
そのほか、副業やサークル活動の場所でもあります。

そして加西は僕にとって播州地域を盛り上げるための活動の拠点です。

「なんでそんなにがんばれるのですか?」と聞かれることがたまにあります。
列車の乗り継ぎが悪いと片道3時間ほどかかります。
でも、僕にとっては、がんばっている感覚は正直なところあまりありません。

故郷である播州で活動することは僕にとって「仕事」、ましてや「労働」の感覚では全くないのです。
かといって「遊び」とか「趣味」かと問われるとそれも違います。

ただ、加西に居て加西で時間を過ごしていること、人々と交流させて頂くことに
異常なまでに満足感を得られるのです。
この理由は自分でもよくまだわからないのですが、故郷とつながる安心感なのかもしれません。

加西市の隣りまちの西脇市で生まれた僕は、小学生の頃に家庭の事情で故郷を離れました。
突然引っ越しを告げられ、当時の僕には処理しきれず、ただただ泣いたことを覚えています。
もしあのまま幼馴染と過ごせていたら…と、今でも思うことがあります。
パズルの欠けたピースのように、ぽっかり空いたままです。

僕は欠けたピースを探しているのかもしれません。

もちろん、故郷を去り街で育ちそこで経験できたことが僕自身のキャリア形成において大きな意味をもったことは紛れもない事実であり、否定するつもりも後悔も全くありません。

ただ、ここ数年耳にすることも増えましたが、行き過ぎた分断を感じるようになりました。
何のために働き稼ぎ、その先に自分はどうなりたいのか
分からなくなりました。
いまでもはっきりした答えはありません。

そして、色々なことに手を出し、もがいているうちに故郷である播州の役に立つことがしたいという志を抱くようになり、そうしているうちに故郷に関わるきっかけを見つけました。
それが加西でした。

加西には僕のことを歓迎してくれて、背中を押してくれる方々がいました。
「なぜ加西なんですか?」と聞かれることがよくあります。
「人です」と僕は答えています。

『3つの世界』(山口 揚平 著)という本では、3つの世界を「キャピタリズム=資本主義社会」と「ヴァーチャリズム=仮想現実社会」と「シェアリズム=共和主義社会」と定義しています。

著者はいわゆる「お金」が3つの世界で異なると説き、キャピタリズムではそのまま「お金(通貨):仕事、資産」であり、シェアリズムでは「時間(貢献):関係、信頼」と例えています。
そして、都市部はキャピタリズムの世界、田舎はシェアリズムの世界と述べています。
非常に興味深いです。

確かにそう言われると、僕が加西で体験しているのはシェアリズムの世界であり、
時間をかけて人と信頼関係を気付いていくプロセスに喜びを感じるし、
金銭的価値では測れない財産になっていると思います。

都市部である京都での暮らしも大切だし、そこで日々得られる知識やスキル、報酬は有難いものです。
それを都市部で完結させるのではなく、故郷に還元したいと僕は思っています。
そして、その還元方法はシェアリズムの世界では「時間」なのです。

このように考えると、都市部と田舎は分断されているわけではなく、
双方の良い点を活用することで心と経験をアップデートできる存在にできるのではないでしょうか。